コーヒーでも飲んでひといき。

不登校に思う。愛着はほかに代えられるのか??

久しぶりにブログページの更新をしようと思いますが、
今日はちょっと固いお話になるのかも知れません。
考えていることを少し書きたいと思います。

不登校児童生徒と接することが多いのですが、
よくある質問として、「どうしたら不登校は解決するのか?」というのがあります。
お伝えする答えの一つは「万能な解決策はありません」ということです。

まず、人間は一人ひとり違います。
たとえ同じ環境に生まれ育った双子のきょうだいであっても、
同じ性格にはなりませんし、同じ行動を取るわけではありません。
生まれ落ちたその瞬間から、持っている性格というのは確かにあるのだと思います。

環境もそれぞれ違います。
周りの人からの影響もそれぞれ違う。
まったく同じ人なんて、ひとりとして存在しないのです。
この時点ですでに、誰にでも有効な方法などないと言えます。

傷や病気を治すようにはいかないのです。

また、保護者の方々の中には、1+1=2 のような明確な答えがあると考えてしまう方も多くおられます。
悩み、苦しんでおられるがゆえの焦りの気持ちもあるのだろうと思いますが、
そういった方々へは特に、「これ」という決め手はありませんとお答えしています。
仮にお伝えしたひとつの方法がしっくりこなかったりした時に、落胆がとても大きいからです。

ただ、傾向としてあるものや、複数の場合において有効だった、というやり方はあります。

そのひとつが自信を培うことです。
よく言われる、自己肯定感の低い子どもがやはり多いな、というのは実際に見ていて感じます。
自分に自信がないため、失敗を恐れたり、不安にかられたり。
挑戦を避けてしまう子がやっぱり多くいます。
そういった子たちの自信を培うことができれば、勇気をもって踏み出すことは可能です。

そのための方法のひとつが愛着を満たすことではないかとわたしは考えています。
愛着とは、乳幼児期に親との間に結ばれていてほしい、絶対的な絆、と思っていただいていいかと思います。
自分が無条件に愛されているのだという確信です。
もちろん、頭ではっきりそれを意識することはほとんどありませんが、無意識のうちにも愛されているという絶対的な自信と安心感が不足していることが、その後の子どもの成長に大きく影響を与えることは確かです。

では、それは何か別のことで代えられるのでしょうか。
別のことで埋めることが可能なのでしょうか。

厳密に言えばそれはできないと思います。
その時に必要だった親の愛情は、その時にしかないものだし、その時でないと意味がないからです。
ただ、完全にそれを補充できないとしても、穴を埋めることは可能であると思っています。
思春期にさしかかると、子どもが必要とする愛情の質も、親が与えられる愛情の質も変わってきます。
この段階でも、乳幼児期の「渇き」がある場合は、質の違う愛情であっても、
できうる限り注いでいくことができれば、子どもの状態は改善していきます。

本来は、親からの愛情を痛いほどに子どもは求めますが、さまざまな理由によって、それが期待できない場合、親以外の人からの愛情であっても、得られないよりはよほどいいと思います。
つまり、他人からの愛情でもないよりはよほどましだということです。

ずいぶんと乱暴な言い方になってしまいました。
支援者の方々は、ある程度共感してくださる部分もあるのではないかと思います。

支援者や近所の他人は、その子にとっての親にはなりえません。
親にはかなわないし、親のようには愛情を注ぐことはできません。
けれどその子にとって、無条件の愛情を知らないでいることの方が、その愛情が足りないでいることの方が、ずっと問題だと思います。

「愛着はほかに代えられるのか??」の答えは「代えられない。だが、代わりうる」です。
支援者としてのわたしは、自分が決してその子の求める愛情を与えられないこと、親のようにはなれないこと、それを十二分に分かった上で、それでも、その子の心の穴を埋める材料にほんの少しでもなるのであれば、たとえ代替物であっても、愛情を注ぎたいと思います。
ほんのわずかであっても、その子が立ち上がる原動力の一部になるのであれば、
その努力を惜しむことはしたくないなと思います。

北九州市でカラーセラピー・セラピスト養成講座をしています。 自分の気持ちがわからない、自分が好きなことややりたいことが分からない女性へ、ぐちゃぐちゃな心の中を整理するお手伝いをしています。